筆者は名も無い、しがないライターである。専業でもないので覚悟も足りていない。しかし、何の因果かクロノス日本版などという大看板の下で仕事をさせていただいている。筆者同等のレベルであれば、本気になれば誰しも到達できるはずである。
そこで、筆者が得た知見のうち、最低限必要であると考えている内容を記す。
筆者:佐藤しんいち Twitter:@SugarHeartOne webChronosを中心に、時計ライターとして活動中。 自己紹介と過去の担当記事一覧 |
主語・述語の関係性と修飾語の順番を意識する
日本語は主語を省略する言語であるが、一度、主語を明記する意識をして書いてみる。すると、意外と述語となる動詞との組み合わせが変になっていることに気が付くはずだ。
また、修飾語の順番を意識することも大切である。例えば……
・整然とダイヤモンドが同心円状に配置されている
・ダイヤモンドが整然と同心円状に配置されている
・ダイヤモンドが同心円状に整然と配置されている
と「整然と」の位置に注目して欲しい。「整然と」は「配置されている」にかかるはずなので、近い方が意味が通りやすい。配置方法、ここでは「同心円状に」を強調したければ、この前に置くのも良いかもしれない。この例では『当たり前』のように感じられるが、気を抜くと通じにくい配置になっている場合がある。(筆者のクセでもあるが)
「が」の用法に注意する
「が」を乱用している人は非常に多いし、筆者もミスをすることが多く、手直し頻度が高い事例である。例を示してみよう。
『より一般的な、GMT針を用いたモデルでは、自分の地点の時刻と、もうひとつの異なる場所のローカルタイムのふたつの時間帯(うまく活用すれば3つの時間帯)を表示するが、本作は、ひと目で世界各国の時刻を確認できる表示系を備える。』
これは『一般的にはこうである。一方、本作は』という対比のために「が」を使用しており、正しい用法である。
『なぜなら、異なる時間帯が陸続きで並んでおり、そのような地域ではちょっとした出張先で時差が生じることもあるからだが、ダイアルに描かれた世界地図を見ればそのことがよく分かる。』
一方、こちらは対比の対応になっておらず、とりあえず後ろの文章と接続するために用いられている。パッと見た感じでは違和感は少ないかもしれず、乱用してしまう理由の一つとなっている。通じるから良いとも考えられる一方、できるだけ伝わりやすくまとめるためには避けるべきだ。
ちなみに、この例は筆者のインプレッション記事を弄って例示したものである。
自分の意見を排した「ニュース記事」の練習をする
ライターとしてのキャリアは人それぞれだろうが、実績も人気も何もない人がライターとして活動してゆく際には、有名ライターが担当しないニュース記事に携わることからスタートすることが多いだろう。webChronosでは以下のような記事である。
これらのニュース記事の中に、ライターの知見、例えば「本作は過去にない面白い機構が入っているよ!」とか「歴史的に見てセンセーショナルだよ!」といった内容を含めることも良いことなのだが、最初はブランドのプレスリリースに書かれた内容と、公式サイトに掲載された過去モデル情報のみを引用して読みやすくまとめる練習が良いと筆者は考えている。
ブランドによっては、プレスリリースがお世辞にも読みやすくまとまっているとは言えず、やや誇張のあるものも含まれているので、500~800文字程度のボリュームで、より冷静にまとめる練習は必須だ。これができるだけでもクロノス編集部では重宝されるはずだ。
コラムニストではなくてライターとして求められるのは、第一に「まとめる能力」であると認識しよう。プレスリリースは各社の公式サイトの他、「PR TIMES」などを見ると、そのまま掲載されているので練習材料として活用すると良い。
引き合いに出して申し訳ないが、HODINKEEの(海外の)人気ライターに影響を受けて参考にするのは(最初の段階では)お勧めしない。あれは、豊かな知見とユーモア、優れた文章構成力によって成立しているものだ。ド素人が真似ると火傷をするし、本項の示すドライなニュース記事作成能力の醸成に役立たない。
そもそも、読者はどこの馬の骨かもわからないライターのポエムなど読みたくないのだ。自分の書いたその文章が、記事の必要構成要素となっているのかポエムなのか、判断できるようになるまではドライなニュース記事が書けるように努めるべきだろう。
表記を統一し、表記ルールを遵守する
「ダイアル」や「ダイヤル」、「ぜんまい」「ゼンマイ」といった表記揺れを始めとして、ある物を同じように評価・表現する場合は、文中では同じ修飾語を使った方が親切である。
また、例に示した「ぜんまい」などはメディアによって表記が定められているので、これを遵守する。この他にも、webChronosであれば初出の固有名詞を「かぎかっこ」で括る、ブランド名はかぎかっこで括らず、シリーズ名以下のモデル名を括るなど、メディアによって決まりがあるので、それを遵守する。
このあたりは、ニュース記事の練習によって身に着けていくと良いだろうが、仕事を受注して分かることでもあるので、練習のみの場合は『webChronosを参考にして自分ルールを作って、仕事を始めたらそれに合わせる』のが良いかもしれない。これができると、担当編集さんの仕事が減って喜ばれる。
情報ソースにこだわる
個人サイトなら噂レベルをベースに記事を書くのも良いだろうが、商業誌となると話が変わってくる。母体が商業誌であるウェブ媒体も同様である。
書きたい内容があったら、公式サイトやプレスリリース、ブランド公式の冊子などで裏取りをする癖をつけたい。それらを行う中で、どこを見れば正確な情報が掲載されているかが分かるようになるだろう。ちなみにクロノス編集部は特許や論文などもチェックしているようだ。変態である。
公式に掲載されていない情報で、でも確かっぽくて、自分が書きたい内容があれば、比較的信頼性の高いサイト、例えば商業誌を母体とするウェブ媒体や、時計(ムーブメント)のデータベースなどを参照するのも良い。ただし、それをそのまま使用してしまうと前者は盗用になる可能性が高く、後者は信頼性にやや欠けることとなる。そのため、そこに掲載されている情報をライターは踏まえる程度に抑えて記事を構成するのが良い。
伝わりにくいだろうが、これらを参照して「間違いにならないように、表記を微調整する」といった利用に留めるのが良い。あるいは、それらを足掛かりに公式情報を追いかけなおす、などである。裏が取れなければ潔く諦める。これもまた、必要な技術だと筆者は考えている。
「事実」と「感想」を切り分ける
あるブランドが新作を発表したことは事実である。そこに搭載されているムーブメントの仕様や、各種仕上げの種類も事実である。これに対して、その新作が注目に値することや、ムーブメントの新規性に対する評価、仕上げの良好さに対するコメントは感想である。
最初に書いたニュース記事の執筆練習を通じて、この「事実」と「感想」の切り分けを明確にできるように訓練することは重要である。これは、おそらく最後まであなたの肩を叩き続ける。
「センセーショナルな内容」は蜜の味だが毒でしかない
筆者は趣味系のブロガーをバックボーンとして持つ身である。そのような経験の中で、同ジャンルでセンセーショナルな内容、具体的には『特定製品を少し批判する記事』を書いて注目を浴び、それのアクセス数が伸びたことに気を良くし、『真理を知る辛口ブロガー』なるものを自称して『酷評』するような記事を量産、後に自滅する例を見てきた。あるいは、良心的な記事を書いて人気のあったブロガーの人気が陰り、酷評記事を書いて最後には消滅した例もあった。最近なら、ブロガーよりもYoutuberでこの例を見ることが多いかもしれない。
SNSなどではネガティブな評価が注目を浴びやすい。それは、その製品の購入を検討する人の『買って失敗だったら嫌だ』という心理と結びついているからだ。あるいは、その製品やブランドを良く思わない人々による仲間を求めようとする運動力学が、その記事の拡散を後押しする。その前提を理解していないと、アクセス数や、いいね、RTの数が、『その批判が支持されている』『自分は真理をとらえている』という誤解に直結するのである。
批判は非常に難しい
ただし、批判することが問題なのではない。きちんと前提を置いて、理路整然と批判することは平等な立場のライターとして必要なスタンスである。しかし、その製品が許せないと感じる負の感情は、あなたの理性的な判断を狂わせ、『真理に基づいて批判をしているのだ』という心理状態で過激な論理を展開してしまうことにつながる。
個人の感想を書くことが主となる「インプレッション=レビュー」は、どれだけ上手いライターが執筆したものであっても主観的な内容で構成されている。一方、上手いライターであるほど、複数の視点から対象を検討しているように感じる。これは『多方面にゴマを擦る』のとは異なると筆者は考えている。
筆者は時計ライターなどというものに関わるまではリシャール・ミルの良さが全く分からなかった。しかし、ライターの仕事を通じて各社の技術動向を知ったうえでリシャール・ミルの情報に触れると、それが如何に『アウトスタンディング』なレベルであるか分かってきた。
分かってきたのだが、好みであるか?と問われればシンプルでコンパクトなモデルを好む筆者としては『否』である。一方、それが素晴らしいものであると評価している状態である。これは先の「事実と感想を切り分ける」ことに繋がっている。
『批判そのもの』についての筆者の考えは、それだけでひとつの記事が書けそうなので、今回はここまでにしておこう。
最後に
筆者は名も無い、しがないライターである。専業でもないので覚悟も足りていない。しかし、何の因果かクロノス日本版などという大看板の下で仕事をさせていただいている。筆者同等のレベルであれば、本気になれば誰しも到達できるはずである。
ライターを目指す方は、最低限、ここに記された内容をクリアできるように取り組んでみることが、第一歩になるのではないか?と提案し、この記事を終えることにする。