[のたうつ男の苦悩]では、時計趣味あるあるとか、気付き、たまにちょっとした主張を交えたものを扱います。一覧化された情報とか、お役立ち情報は期待しないでください。このシリーズの内容が、何かしら生活を少し楽しくするものとなれば幸いです。
筆者:佐藤しんいち Twitter:@SugarHeartOne webChronosを中心に、時計ライターとして活動中。 自己紹介と過去の担当記事一覧 |
物語は友人宅を訪問したことで始まる
筆者は先日、会社の同僚の家に行った。彼とは気さくに話すものの深い話をしてきたわけでもなく、『結構な趣味人だ』『ギター好きで結構な本数を持っている』という前情報を持っていた程度であった。
そして彼の部屋に入って絶句した。『結構持っている』とかいうレベルではない。20本近い「メインを張れるレベルの」ギター。見たこともないが見るからにヤバそうなエフェクター(しかも歪み系ではなくモジュレーション系を駆使している)が並べられた足元。棚には「ひとつ持っていたらお宝として自慢できるレベル」なエフェクターがゴロゴロある。なんだこれは。
(ちなみに、エフェクターとは主にエレキギターのサウンドを変化させるためのもので、普段皆さんが聴くであろう楽曲に使われていると思ってよい。ただし、その種類は星の数ほどあり、格好良い音が出る名機からピーピープープーしか鳴らない欠陥品みたいなものまで様々である。)
そこから彼の解説をひとつひとつ聞いてゆくことになる。そう聞くと「自慢話で退屈そうだ」と思われるかもしれないがそんなことはない。見識が深く、どういうサウンドがするかの経験を語ってくれるのだ。これは貴重である。 デモ演奏付きで解説してくれるのだが、それがまたとんでもなく上手い。イケメン好青年。なんだこの差は!!!!(憤怒)
いや、話が逸れた。それぞれの機材は、彼の中でサウンド、あるいはプレイスタイルとしっかりと結びついているのが良く分かった。
そんな話をしながら筆者は自分の趣味の傾向について長年感じてきた疑問を彼に投げかけた。
「これだけのギターや機材があるが、君は自分のことをコレクターだと思っているかい?」
彼の答えはNoであった。まったくの予想通りである。なぜ予想できたのか。筆者には彼がそう考える根拠や、これだけ欲しくなる、正確に言えば必要とする理由がよく理解できたからだ。
「コレクターではない」と断言した理由
彼の思考はこうである。購入したそれぞれのものには、それぞれの役割があり、手持ちの中では代替が利かないのである。
自分のやりたいことの明確なイメージがあり、そこに到達するための手段としての購入であり、目的はその先の「音楽」であるのだ。あるいは、新たな機材に触れたときに、「新しい音楽へのアプローチ」が生まれているのである。
筆者もこの考え方に近い。ひとつ断っておくと、筆者も時計に関してコレクターではない。これは、ネット上で観測できる素晴らしいコレクターに対する謙遜(実際にコレクターと呼べるレベルではないが)であるのと同時に、ずらっと並べて楽しむような感覚が無いためである。言い換えれば、何かの目的を達成するためにそのモデルを購入したものがほとんどなのだ。
時計の場合は着用シーンが異なれば用途が異なると言えるだろう。しかし、近いジャンル、着用シーンが同じように見えるものであっても、異なるメーカーの各傑作自動巻きムーブメントから得られる経験はそれぞれからしか得られないものであって、代替できるものではないのだ。代替できないのだ。間違いなくそうなのだ。(言い聞かせ)
具体的には、その時代にどれほどのレベルまで完成度が高まっていたかや、各社の思想の違い、自動巻きの巻き上がり時の感触を体験するためだ。IWCのCal.853のペラトン式のバネ感のある挙動は特徴的だ。
ほとんど同じに見えても、GS1stとシチズンクロノメーターの2本を所有することは、1950年代後半から60年代にかけて、日本がスイスの時計産業に追いつくためにどれだけの努力がなされていたか、そしてこの二社のマイルストーンを感じ取るために必要であったのだ。使ってゆくうちに見えてくることもあれば、思い入れが増してくる側面もある。
筆者の手持ちの時計を思い起こしながら、思い入れが生まれると手放すのも大変だろう、という話をした。すると彼はさらっとこう言いのけた。
「自分にとってギターや機材はツールなので、思い入れとかは無いですね。良い状態を保ち、使わなくなったらスパッと売ります。」
彼の方が買ったもので為したいことや得られるもの、生み出せるものに純粋に向き合っていた。そりゃギター演奏も上手くなるわけだ。
自分もこんなところで屁理屈をこねている暇があったら、購入したものから学べるものや、それを起点にした勉強に邁進すべきだな、と痛感したのであった。